卒団生のお母様から(抜粋) 2017年3月友の会例会にて

 子どもの為に手作りした初めての物が、生活団のお米袋とリュックでした。当時はミシンも持っていなかったので、母親室で同じ組のお母さんに手取り足取り教えていただいて、子どもが自分で色と飾りを選んでデザインした世界でたった一つのリュックが出来上がりました。初めて背負った日の嬉しそうな顔は今でも覚えています。

 友の会で行われる洋裁教室の、講習1回目の手提げバックと巾着を縫う会では、長女と一緒に生地を選らび学校で使う鞄を、2回目のパジャマを縫う会では、6才組のお泊り勉強用のパジャマを、3回目のブラウスを縫う会では、子どもが着やすく動きやすい工夫がたくさんのブラウスを教えていただきました。友の会の衣の係の方々や二女の託児を快く引き受けて習いに行かせてくださった生活団のお母様達のお陰で、ミシンも持っていなかった私が、卒業式に着るブラウスを一人で作ることができました。

 一緒に卒業する子どもの中に、お母様も生活団の卒業生で、お母様が卒業式に着たワンピースを着る子どもが二人います。そのことを聞いた時、世代を超えて受け継がれる手作りの温かみを感じました。機械で大量に作られるものでなく、手作りの温かみのある愛がいっぱい詰まった世界に一つだけの洋服をこれからも作ってみたいと思います。

 縫うことの楽しさを教えてくださった友の会の方々、生活団のお母様達、何よりも私を母にしてくれた三人の子ども達に感謝します。

 

34回生 田渕さん のお母様 

 


松戸生活団創立30周年に寄せて

卒団生のお父様から 

 6回生雨宮幸(おしるしは三輪車)の保護者です。

 松戸友の会幼児生活団30周年おめでとうございます。卒団以降のことについて書かせていただきます。

 卒団後、千葉県印西の小学校に3年間通学し、その後関西に転校し、中学、高校と兵庫県内で生活していました。

 大学は幸の強い希望でアメリカの大学を選びました。その時は「日本の大学を卒業してから外国の大学へ」の考えが強く “直接アメリカの大学へ” は親として悩み、「日本の大学入試に合格したらアメリカの大学に入学してよい」と約束しました。幸はその約束を果たし、高校卒業後アメリカに行きました。親として心配と不安がつきまとっていましたが、卒業後は親の気持ちを察知してくれたのか、日本に戻って “英語が喋れる企業人” として東京で生活しています。幼児生活団で学んだ “自分で考え実践する力” が幸の武器になっており、これからもその気持ちを保持して歩んでいってほしいと願っています。

 

6回生 雨宮さん のお父様